【東大阪】歴史を感じながら街を楽しく散策!今米公園『中甚兵衛顕彰碑』。

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昨日紹介した、近鉄けいはんな線吉田駅の北東徒歩3分のところにある『川中邸 屋敷林』。大和川付替工事に功績のあった中甚兵衛ゆかりの家で、今でも素晴らしい屋敷林が残されているというお話をさせていただきました♪

【東大阪】ここ、どこだかわかりますか?大阪府下で初めて都市緑地保全法の『今米緑地保全地区』として指定された屋敷林。

屋敷林

今日は、南側に隣接する今米公園の中甚兵衛顕彰碑をご紹介します!

今米

今米公園(いまごめこうえん)は広々と見通しがよく、砂場や滑り台など、子供連れでも楽しむことができる公園です。

今米

一見、普通の公園に見えますが公園の入り口から右奥に進むと、中甚兵衛顕彰碑があります。

今米

大和川付替工事に功績のあった中甚兵衛大阪再発見のHPに詳細が記載されていました。

大和川付替え促進運動に中心的役割を果たした中甚兵衛は今米村(現東大阪市今米)の庄屋で、1639年(寛永16年)に当地で生まれている。1659年(明暦2年)に父がなくなった後、河内各地の庄屋と諮り、大和川の付替え工事を再三幕府に訴えたが、新川筋にあたる村々よりの強い反対運動もあり、ことはすんなりと進まなかった。


 幕府は何回も大和川と淀川と合流する辺りから大坂河口の改修を行ったが、状況は一向に改善されず、1699年(元禄12年)の大坂河口の治水工事終了以降も、翌年、翌々年と大洪水が続き、年貢が全く納められない事態が続いたため、遂に幕府も方向転換し、1703年(元禄16年)10月、付替えが決定した。 この時甚兵衛は65歳、運動開始から50年近くの歳月が経っていた。


 付替え工事の間、甚兵衛はその力量を認められ、普請御用を勤め、工事完了後はその功績により名字帯刀を許され、中甚兵衛を名乗った。翌1704年(宝永2年)に剃髪、法名の乗久を名乗り、引退した。
1730年(享保15年)93歳で天寿を全うした。墓は京都市東山区、大谷本廟(西大谷)にある。

今米

この場所は、もとは春日神社があったところで、区画整理のため1983年(昭和58年)神社は現在地より約200m程北へ移転したそうです。その時の名残として、今でも顕彰碑の手前には対の狛犬が残されています。

今米

なぜこれだけを残したのかは不明だと言われているそうです。普段何気なく見ている場所でも、色々調べてみると深い歴史を感じますね。

今米

隣接している中甚兵衛ゆかりの家である川中邸 屋敷林を訪れる際は、ぜひ中甚兵衛顕彰碑も訪れてみてくださいね!

 

中甚兵衛顕彰碑

大阪府東大阪市今米1丁目5−7

大阪府東大阪市今米1丁目5−7

 

(なかしまあすか)

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